数字の意味で・・・其の一(3)【草稿】


「どこのいるの?・・・どこだよ!」俺は泣きながら、叫んでいた。
見えないんだ、ほんとに何も見えないんだ。『見ようとしないからです』
俺は、真っ暗な闇の中、手で周りを確かめようとしたが、手に触れるものは何もなかった。
『何に触れようとしているのですか?』俺は聞こえてくる声の方に、進んで言った。
しかし、暗闇のままで、一点の光も見えない。(どうしたらいいんだ!)俺は焦っていた。
何に焦っているのかも分からない。どうして泣いているのかも分からない。なぜ声の方に向かって進んでいるのかも分からない。
すると、声は暗闇の中、俺にまた話しかけた。『なぜ焦り、なぜ泣き、それでもなぜ進もうとするのですか?』
そんなこと考える余裕がないのが今の俺だ。(だから焦っていて、泣いていて、進もうともがいているんだ!)
すると、突然、体が軽くなった。暗闇の中、体だけ軽くなった。地面に立っている感覚がなくなっている。
宙に浮いていく感じがする。そして一人の女性の顔が浮かんできた。(・・・結城!)
俺は、左の手を開き腕を伸ばして、その顔をつかもうとした。
目からは涙がこぼれ、力を入れて伸ばした手のひらは天上に向かっていた。ベットの上で俺はその状態だ・・・
「ふぅー、朝か・・・」と俺は、枕元の時計に目をやった。心は至って落ち付いていた。
わけの分からないのが夢だからな。そう自分に言い聞かせた。
外でも歩いてくるかなと思い、服を着替えた。玄関の扉を開けてから、外が曇っていることに気がついた。
最近、やけに天気の日が多くて余り寒くもなかった。今日もそれほど寒くはないが曇っている。
歩きだしたが、なんだかうわのそらという感じだ。何を考えるわけでもなく、ただ歩いているだけのような感覚だ。気がつくと、家から一番近い公園に来ていた。周りを見たが、誰もいない。
俺はベンチのほうに進み、静かに腰を掛け、ボーっと前を見ていた。
すると突然、「円盤投げー!」と聞こえて、白いでかい物体が目の前に飛んできた。
「うわぁあ!」と思いっきり驚いて、ビックリしたポーズをとって固まった。
冷静になって、その物体を見てみると、自転車の車輪だな、さびている。これは、円盤のように見えるが、円盤投というよりは、大きさ的にマンホール投げに近いだろと突っ込みたくなった。
俺は、声の聞こえた方向に、目を移した。予想通り、笑顔の彼女がいる。
「やあ、もともとくん」彼女は声をかけてきた。俺は「うす」と、挨拶を返し、今日はちょっと機嫌が悪そうだなと結城の様子を伺った。結城は手を後ろに組み、こっちに向かってくる。
ピンクのパーカーを着て、下もピンクのジャージ姿の彼女は、ベンチまで来ると、静かに腰を下ろした。
彼女は自転車の車輪を見つめて、黙っている。俺も、その車輪を見た。しばらくの沈黙が続いた。
「ちょっと喧嘩をしちゃった」結城が口を開いた。
(ああ、また母親と喧嘩したのか)と思った。結城の母親は、義理の母親である。父親は、結城が12歳の時に離婚して18歳のときに再婚している。俺が転校してきた年に、結城の涙を俺は見ている。
「そうか・・」それ以上何も言えない。すると、彼女は、いつもの笑顔を俺に見せた。
そして、曇っている空を見上げて行った。「数字の意味で触れないってなんだと思う」
また前の続きか、どんな世界を創ろうとしているんだと言いたくなったが、この状態では言い出しにくい。
俺は腕組みをして、考えた。彼女は両手を膝に挟んでニコニコして曇り空をみている。
「空に輝く星は触れない」と、俺は口を開いた。彼女はニコニコしながら「それから」と言った。
(なんなんだよ。それからって・・・)と言いたくなるが、完全に彼女に主導権があるような状態に持ってかれたという考えにおさまった。
「地球の中心の核は触れない」俺が早口で言うと、彼女は笑顔で「やけどするね」と言った。
(まぁ、やけどどころじゃすまないことは分かっていて言ってみたのだがね)と心の中で言い返した。
「時間は触れない」俺は、口をとがらせて言ってやった。彼女は「そおだね」と相変わらず笑っている。
なんだよ、そのどうでもいいような反応はと、俺は言いたいが、彼女の笑顔での威圧感が反撃を許さない。
「夢」と、今度は適当に言ってみた。すかさず彼女は、「夢って触れるよ」と言ってきた。
「どうやって触るんだよ」と俺は口に出してしまった。
すると、彼女から笑顔が消えた。そして「この世界がもし夢で出来ていたとしたらどうする?」と言いだした。
まぁ、それ以上追及するのは、俺のためにならないと思い、妥協して「寝ているときに見る夢は触れるな・・・」と返した。それを聞くと彼女に笑顔が戻った。(俺は、おまえのご機嫌取りか!)と心の中で叫んだ。もちろん、口に出すことはこの状態では自殺行為である。
「心だな」口からは、その言葉が重く出てきた。結城の心に俺は、触れ過ぎてきたのかもしれない。
だから、結城の感情が手に取るように伝わってくる。人ってなんだろうなって思うことがある。
触れることのできない話だったのに、触れることのできる話になりそうな感じもある。
「心ねぇ」と、結城にしては曖昧な返答が返って来た。
「もとくんは、私の心に触れていると思う?」俺の心を見透かしたような言い方をする。
「まぁ、触れられない領域ってのがあるのは分かる」曇り空を見上げて言った。
結城は、曇り空を見ながら「その車輪、重いと思う」と言ってきた。
錆びた車輪を見つめ、26インチくらいの自転車の車輪だなと思い。さっきいた位置から女性がここまで投げるにはちょっとした力が必要だな、遠心力を使って投げた可能性はある。円盤投か・・・
「円盤投にしては大きすぎるし、重いかな」俺は結城が何を言おうとしているか察しはついていた。
「ふーん、もとくん、私の心が分かるの?」彼女の俺の心を見透かした言い方は続く。
結城の背負っているものが、大きくて重いことは分かっている。ただそれを口に出すことは、ためらいがあるからあえて言わないだけだ。
「結城の声には触れられないかな」と、話を元の路線に戻した。
彼女は笑顔で「時間、人の心、人の声には触れないね」そういって空を見ながら目を閉じた。それを見て、「時の力だな」と、俺も目を閉じて言った。彼女は「そおだね」と俺の左腕をギュッと握った。
彼女の想いが伝わってくる感じがした。
時の力とは、この世界を形作って来た力。この世界は常に変化している。それは時間があるからだ。
この世界が創られたときに、同時に時間という概念が出来た。変化するため、進化するため、この世界で出来る可能性を見極めるためなのだろうか。
今はいている靴を、一生死ぬまで手放さないとか、廃棄処分になる最後まで、ずっと触っていることなどできないだろう。
変化しているものを常に触ることは不可能なことだ。
数字の意味で触れないとは、時が与える世界の姿だな。
そう頭の中でつぶやき、目を開けた。彼女を見ると、まだ目を閉じている。(なんかここだけ、時が止まっている感じもするけどな)と思いながら、目の前にある自転車の車輪を見つめた。まぁ、おまえがそこにあることを俺は別に詮索はしない。しかし、そこに横たわっているのは、誰が何と言おうと、不自然だ。
しばらくして、結城の手が俺の腕から離れた。彼女はベンチから立ち上がると「じゃあ、帰るね」と、笑顔を見せて、帰って言った。
俺は頭の後ろで手を組み、ベンチにもたれかかり、脚も組んだ。しばらく車輪をボーっと眺めていた。
そして、「・・・俺も帰るかな」と、相変わらず曇っている空を見ながら、家に帰った。