三「夢を忘れた大人たちへ」

私の考えです。
今日は、六十項目の
三「夢を忘れた大人たちへ」です。
夢、とは何なのでしょうね。寝ているときに見るのも夢です。
なりたいものを思い描くのも夢です。
今、社会はどのような形をしていると思いますか。
とても自由で、伸び伸びとしていて、自分の発想を限りなく受け入れてくれる
社会だと思いますか。
答えは、自由なように見えて自由ではなく、独自の発想を受け入れてくれるようで
そうではないです。
例を上げれば、自由と言う言葉は存在しますが、自由に動けば、周りが戸惑い
困惑し、何を確かなものと思い、動けばいいのか分からなくなるのが現状です。
個々の意識に左右されるのには、ルールを設けなければ動きづらいということです。
そして、そのルールを作っているのが、マスコミです。
もっといえば、マスコミを動かしているものとでもいいましょうか。
この国の形を今の形にし、教育、制度、秩序などを作り上げたものたちです。
そのものたちのルールに乗っ取り、この国は動き、変化してきました。
インターネットで自由に発言をしている人たちもいるように見えますが、
実はそのものたちも、ある程度のルールをもっています。
自由とはいったいなんだと思いますか。
何者にも束縛されず、勝手気ままに自分の主張をし続けることだと思いますか。
それとも、ある程度のルールに乗っ取り、自分の考えを述べることだと思いますか。
答えは、どちらでもないのです。自由とは、生きることを放棄することなのです。
自分の考えを述べるのをやめ、ルールも気にせず、何事からも束縛されず、
何も考えずに、ただ食べて寝て起きる。この繰返しを自由といいます。
そういう生きることを放棄した生き方もあります。
生きることとは、一人で生きていくものではないです。そこには、自分の考えがあり、
人の考えがあり、ある程度のルールがあり、束縛もされます。
では、ここで、私の自由の定義をしてみたいと思います。これが私の自由です。
生きることの意味を見つけるため、自分の考えを述べ、人の考えを見て、自分を
見つめる。そこから、生まれる自分を自由とするのです。
この繰り返しが、秩序になり、自分の経験になり、自分の想いになると思います。
そして、社会全体を形作っていくと思います。
抽象的なものを具体的にするのは、個々の考えの重なり合いが産み出していくもの
だと思います。はじめから具体的なものが生まれるのであれば、誰も考えなくても
いいし、誰の考えも聞かなくてもいい。
抽象的なものを形ある具体的なものにするのが、個々の考えであること。
それこそが人間の知恵なのだと思います。世の中には色々な経験をし、色々な
考えを持った人間が存在し、まだまだ可能性は限りなく広がっていると思います。
その道しるべを作るのが、現在の大人たちです。
夢を忘れた大人たちとは、今の社会を、そのままで良しとし、そのまま受け入れて
しまう大人たちのことです。
子供は、大人たちが作った社会の中で生きていきます。そして、成長し、大人に
なります。成長過程で影響されるのは、そのときの社会なのです。
なぜ、マスコミがあるのかは分かりますね。そのままで良しとしないために
あるのです。可能性を見るためにあるのです。
そのことを頭のすみにおき、自分なりの可能性を見つけていく努力をしてみては
どうでしょうか。

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