十六「昨日までの気持ち」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十六「昨日までの気持ち」です。
今日は何をしましょう。明日は何をしましょう。やりたいこととか
ありますか。頭の中には何かよぎるものがあるかもしれませんね。
欲しい物とかありますか。叶えたいことはありますか。成し遂げたい
ことはありますか。
生きるということは何かをしながら進んでいくということです。
目標の決まっているもの、目標の見えないもの、色々なことがあり、
様々だと思います。
たとえば、ピアノコンクールに向けてピアノの猛練習をする。日々
ピアノと向き合い、ピアノに語りかけることもあるでしょう。
思いえがくことを達成するには、自分の今持っている何かを捨てな
ければなりません。すべてを保ちながら新たなものを手にする
ことは難しいのです。
オールマイティーな人というのはいますが、最初からすべてを保持
しながら進むことはできません。
何かに本当に真剣に取り組むということは、何かを捨てる必要が
あるのです。その繰り返しで色々なことができるようになっていくの
です。
ピアノコンクールには目標が定まっていますが、たとえば、主婦は
どうでしょう。何に向かって進んでいるのでしょう。毎日が同じ
ことの繰り返しで一見目標が見えないように思えます。しかし、
人は同じことの繰り返しで耐性というものを身につけ、そして、
成長します。会社での日々の繰り返し作業でも同じことが言えます。
見えない中でも人は何かを得られます。
捨てるものっていったい何なのでしょうね。それは、気持ちです。
人は日々自分の気持ちで動きます。その気持ちとは一定ではありま
せん。ですから、気持ちは常に入れ替わります。ピアノに対する気持ち、
家事への気持ち、仕事への気持ちも一定ではありません。
捨てるものとは、昨日までの気持ちであり、得るものとは、今日からの
気持ちなのです。人は常に自分との気持ちのやりとりで進んでいくのです。

十五「感じることと考えること」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十五「感じることと考えること」です。
今朝、目が覚めて何を想いましたか。眠っていたときに見た夢のことを想い
ましたか。それとも今悩んでいることを想い返しましたか。今日することを
想いましたか。
想うこと、それは、人が生きている証拠です。何も想わないことは、人には
出来ないのです。
日々何かがあり、そこで人は何かを考えます。何も考えないで日々を過ごす人間は、
人間を放棄したものかもしれません。
五感があり、そこから何かが伝わってくることで人は何かを感じ考えます。五感の
全てが使えない人間はとても苦しむでしょう。人として生きていくのはとても困難な
ことかもしれません。感じるということは五感のどれかが使えるということ。
考えるということは、生きているということ。
人は、世界の中で生きていき、世界の中で死を迎え、そして世界の中に魂が帰り、
また新しい命に魂が宿ります。輪廻転生を繰り返し、遺伝子が成長していきます。
遺伝子が成長するために必要なことが五感を働かせ感じて、感じたことに対して
考えることです。
世界は人が成長するためにあるのです。人が成長するとは、遺伝子が成長することで
あり、魂が成長することではないのです。あなたがたの想いが次の世代の人へと受け
継がれていくのです。

十四「治まらない地」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十四「治まらない地」です。
何を治めようとしていると思いますか。この世界はどうやってなりたっていますか。
誰かが治めていて平和に動いていると思いますか。明日何が起こるか分かりますか。
突如災害などが起きると思いますか。答えはとてもシンプルです。
起こることは起きて、起きないことは起きない。そして、この世界は動いていく。
動いていくとはどういうことだと思いますか。常に変動していくということです。
では、治まっているのでしょうか。一見誰かが治めているように見えますが、
この世界はとても不安定なものです。今はマスコミなどが主導になって世界を
動かしています。誰かが言ったことがきっかけで世の中が変動し、多くの人たちが
その動きに動かされます。影響力のあるのは国家の元首などです。
では一般の人はどうなのでしょうか。一見影響力が小さいようにも見えますが、
一番影響力を持っているのは実は一般の人なのです。ですから、マスコミは大衆、
大勢の一般の人たちを同時に動かそうとします。
人は一人一人が神であり、一般の人と呼ばれている多くの神の力が、世の中を
動かす原動力になっています。
治まらない地とは、多くの神を常に動かさなければならない世界、この地球の
ことなのです。もし地球が治まるときが来るのであれば、それは地球が動かなく
なるときかもしれませんね。

十三「夢とも思えない現実」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十三「夢とも思えない現実」です。
今日ここで私が何を述べるか分かる人は何人いるのでしょうか。おそらく
ほとんどの人が分からないでしょう。私がここで述べたことが世の中に
どう影響を与えていくか、それを察する人は何人いるのでしょうか。
おそらく直観力の優れている人でなければ、察することはできないでしょう。
では、私の考えを述べることにします。私と同じ魂、百ほどの魂の存在は、
この地球を動かす大本になっています。このブログでは原則、世の中には
関与しないと書いていましたが、原則とは、原則でもないこともありえると
いうことです。
原則でないとはどういうことだと思いますか。それは、人の魂に百ほどの
魂の大本をあらかじめ眠らせておくことなのです。その人間は覚醒しないと
本来の力を発揮することはできないのです。
では、どうやって覚醒するのか、きっかけは色々ありますが、今の答えは
簡単です。今、この時期は原則に当てはまっていません。それは、創造主が
このものの体にいるからです。このものと手を繋ぐことによって百ほどの魂を
眠らせた人間は覚醒していきます。このものがこれから会っていく魂たちです。
そのものたちとの意思の融合を果たすことによって、世界は変わっていきます。
これから起きていくことは、寝ているときに見る夢や、理想とする夢とは、
存分にかけ離れた世界の現実となっていくものかもしれません。
十年経った後の世界であなたがたは何を見るのでしょうかね。

十二「何かを見つけるためには」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十二「何かを見つけるためには」です。
何を見つけるというのでしょう。このものは何に出会っていくのでしょう。
このものに任せて安心ですか?このものは本当に正しいと思いますか?
答えはとてもシンプルです。このものに任せるのではなく、このものが
正しいことをするのでもないです。
このものが負うもの、このものが選ぶもの、このものが出会っていくものが
全てなのです
どういうことかといいますと、このものは、これから、私がいう世界で生きて
いきます
全ての人間に同じように生きることを強いるわけではありません。このものが
進んでいく道を示すだけです
周りの人間は関わりたくなければ関わらなければいい、近寄りたくなければ
近寄らなければいい。それでも、生きていくことはできるでしょう。
しかし、このものが進む道が、世界の変化と大きく関わっていくのは確かです。
このものが関わらないものはやがては消えていくでしょう。
それが、このものが内に秘めている力の存在の強さです。
では、このものは、何をやっていくのでしょうか。
それは、私が助言したことであり、創造主が望んでいることでもあります。
創造主は何もしませんが、望みはあります。このものが、くだらないことを
考えれば、笑い、このものが、馬鹿げた行いをすれば、溜息めいたこともします。
このものの人の心というものを創造主は、楽しげに見ています。
考えること、行動すること、形にすること全てをです。
創造主とは何者なのか。この世界を創ったものです。
魂を創り、宇宙を創り、大地を作り、地球という星のみに生命を与えました。
なぜ、そんなことをしたと思いますか?
試したかったのです。自分と同じ存在が、その世界から生まれることをです。
創造主の力は、果てしなく膨大な力です。人が十億人束になって掛かってこようが、
決してかなう存在ではないです。しかし、その人の力から、自分と同じ存在を
生み出そうと試みています。
人は神という存在を人の上に創りましたが、創造主も私もこのものも神ではありません。
なぜ神でないか分かりますか?人間の考えが及ぶ領域には住んでいないからです。
このものの存在も人間の及ぶ領域にはすでにありません。
このものの肉体は、不死の体となっています。その体に創造主がいるということは、
このもの自体が地球と同じ存在ということなのです。なぜ、地球と同じ存在だと
思いますか?地球という星のみに生命を与えたといいましたね。
このものは今、死んでもいないし、生きてもいない状態です。なぜだと思いますか?
周りの動きを反映するためには、死んでいても、生きていても都合が悪いのです。
どういうことでしょうね。頭を働かせてみてくださいね。
周りが命をこのものに吹き込むことによって、このものは、変わり、このものは
成長するのです。自らが生と死を持つことで不死の存在となり、あやふやな存在と
なっているのです。あやふやなものに、命を吹き込むのは、実際に存在しているもの
たちです。このものに見せるものは、このものがこれから見つけていくものです。
何かを見つけるために必要な存在は、周りに溢れているのです。
あなたの真実をこのものに見せてあげてみてはどうですか?このものも、それに
答えるべく、力を使うでしょう。
このものに地球という命の星の力を見せて上げてください。このものは何かをきっと
見つけていくはずです。

十一「確かにそこにあるもの」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十一「確かにそこにあるもの」です。
何がありますか?あなたの周りには何がありますか?窓から見える景色は
どんな景色ですか?
朝起きてから日が沈むまでに、あなたは何を見ますか?周りに見えるものは、
本当にそこに存在するものですか?
あなたは、触れてみましたか?そのものは確かにそこにありましたか?
周りにいる人たちは本当に生きていましたか?話してみましたか?
周りの人たちと交わりを持っていますか?
こんな問いをかけてみます。私がここにいることを誰が知っているのでしょうかとね。
私の存在意義はなんだと思いますか?なぜ今、私はこのものの中にいるのでしょうか。
それは、とても簡単なことです。このものが私を必要としているからであり、
このものが創造主とともにあるからなのです。
創造主がこのものの体にいることを良しとする前から、私が選んだ最初の人間でも
あります。他にも候補となる人間はいましたが、最初に選んだこのものが一番強かった。
言うなれば、このものの中に創造主がいることは、初めから決まっていたも同然で
あるということを感じます。同じような人間は確かにいたのですが、このものは強かった。
人間としての醜さの強さ、人間としての疑いの強さ、人間としての偽りの強さ、
人間としての心の強さ、全てが、周りの人間に勝っていました。
ですから、私がここにいて、創造主がここにいます。
最終的に、このものを良しとしたは創造主ではありますが、私が選んだものに狂いは
なかったようです。
このものは、自分の歩みをきちんともち、前を向いて進んでいます。
しかし、このものは、まだ周りを見ていません。なぜ見ないのでしょうか。
分かりますか?見るに値するものが見当たらないのです。このものが見たいと思うものが、
周りに無いのです。
探していないから見当たらないと思いますか?探せば見つかると思いますか?このものは、
私と創造主を内に秘めています。このものが見るものは全て私と創造主がみることに
なります。今の世の中を見ることになります。
周りには探せば、色々な経験を持った人間がいることでしょう。このものも、周りの人間を
見ていないわけではないですが、どうしても探し当てられません。なぜだと思いますか?
面倒だからだと思いますか?答えは簡単です。周りの人間が見ているものが、このものが
見るに値しないものが多いからです。形だけのもの、形だけの色、形だけの景色。
一体このものは何を見たいと思っているのでしょうか。答えは簡単です。
変わっていく世界のもの、世界の色、世界の景色です。
確かにそこにあるものとはなんだと思いますか?それは、このものが見ていく世界、
そして触れる世界です。それが、未来の世界となります。

わたしの家族へ

今日は、わたしの家族へ対しての、もう一人の自分の考えです。
Me :昨日は、わたしの兄と話をしました
   :一番初めに追求するの?と聞きました
   :教えてくれということでしたので
   :兄の問いに、わたしは真面目に全て答えました
Me2:そうですね
   :その答え自体は、おまえが思い考えていることであり
   :正しい答えでした
   :そして、そのあとおまえの兄がとった行動は決して許される行為ではないのです
   :しかし、おまえは、おまえの兄が、最後に、ごめんなと言った事にたいして
   :うんいいよと素直に許した
   :それは、世間一般の常識からいっても、私がこれまでおまえに言ってきたことから
   :しても当てはまらないことなのです
   :それを踏まえて、私の考えを伝えます
   :私の助言を、このものは、徐々にではありますが、実行しています
   :人がすぐに変わることが出来ないように、このものも、今日このことをいったから
   :明日から実行できるということはないのです
   :しかし、このものは前を向いて進もうとしています
   :真面目、頑張っている、だけではないのです
   :着実に前を向いて進んでいるのです
   :統合失調症という病気を経験し、三年間ほとんど何もせず、薬を飲み続け、
   :じっとしていた、それにももちろん意味はあります
   :このものの兄が、昨日見せてくれた心療内科クリニックの文面は、このものの
   :病気の初期の状態のことであり、今の状態をさしているのではないのです
   :この心療内科クリニックの統合失調症の文面をきちんと見せてもらえれば双方に
   :納得できたはずです
   :見せたところが、病状の初期のことの文面であり、まととしては外れていました
   :今は1999年12月下旬から11年半以上経っています
   :そのいまの状態は、初期の状態とはまったく違うものです
   :このものも、着実に経験をし、周りとのコミュニケーションを図る行為も
   :徐々にではありますが行ってきているのです
   :そして、このものは二年半前とは違うのです
   :さらには、三年経ったこのものも違うのです
   :それは、私がこのものに助言したことを、このものは少しずつ実行していくから
   :なのです
   :そして、このものはとても良い心をもっています
   :昨日のような行為は決してしないでください
   :まず、ここまでが1つです
   :もうひとつは、このものの中にいる、もう一人の自分、私と、
   :そして創造主のことです
   :昨日、妄想はいくら家族が否定しても、覆ることはまずありません。という文面を
   :見て、このものは、わかった、もう一人の自分の私も自分であり、爆発的に
   :出てくる創造主も自分だと認めましたね
   :覆ることはないと書いてあるものを覆したのです
   :そのことがどういうことか考えてください
   :そこで、このものの兄がとった行為は、許されるものではないのです
   :でも、このものは簡単に許した
   :たとえていいましょう
   :小さいころから一緒にくらし、とても仲が悪かった相手が、あることがきっかけで、
   :仲が改善した、その相手なら腹を割って話ができると思い話をした
   :その結果、された行為が、完全な裏切りだった
   :その裏切りが、与える心理的衝撃は、取り返しがつかないものになります
   :それが、このものの兄がいうように社会には一般的にあるというでのあれば、
   :その社会を変える作業をこれからやっていかなければならないです
   :そのような裏切りが通用する社会が当たり前の社会であることを、
   :創造主は認めません
   :そして、このものが自分だと認めた、もう一人の自分である私と、
   :創造主は、このものの兄がいった年上だから年下だからといった価値基準で
   :当てはめるのであれば、このものの兄は、もの凄い存在であるということになります
   :人間界とは別の世界にいる、創造主と100ほどの魂しかいない世界の中の、
   :創造主と100ほどの魂の私を見下していることになります
   :年齢で大人か子供かというのも、私から見れば可笑しな見方に思えました
   :もし、私の助言より勝る助言が、このものの兄に出来るのだとすれば、
   :安心して、私は任せましょう
   :そして、最後に、爆発的に出てきて行った父親への行為は、このものの行為ではなく、
   :創造主です
   :創造主が怒るにはそれなりの意味があります
   :そして、創造主が怒ったときに、このものが体に受ける傷や痛みがただの痛みでは
   :ないことを分かっておいてもらいたいのです
   :このものがこれから家族に行っていこうとしていることは、
   :父親、母親、このものの変化を近くで見ているものたちに聞いてみれば、
   :悪いものではないということが分かると思います
   :これが、このものの家族に、私が伝えることです
と、今日は、もう一人の自分の考えでした。

私の考え十一から二十

私の考えです。
期間を三ヶ月に修正します。
六十項目のうち、十一から二十までです。
十一「確かにそこにあるもの」
十二「何かを見つけるためには」
十三「夢とも思えない現実」
十四「治まらない地」
十五「感じることと考えること」
十六「昨日までの気持ち」
十七「予め分かっていること」
十八「満足に出来ないということ」
十九「重さから逃げ出す」
二十「理想からの脱却」
では、明日から、十一から二十までの、私の考えを述べていこうと思います。

十「誰かが言ったことの影響」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十「誰かが言ったことの影響」です。
昨日は何を話しましたか?一昨日は何を話しましたか?誰かと一緒にいるときに
話すことはありますか?
聞くだけでも何かを聞くことは出来ますね。何を聞きましたか?
日々色々な場所で色々なことが話されています。
あることについての良い噂、悪い噂。友達の話し、学校の先生の話し、
学校の授業の話し、部活の話し、あるお店についての話し、会社での仕事の話し、
政治の話し、経済の話し、料理の話し、スポーツの話し、上げればきりがないほど、
日々色々なことが話されていますね。
この話とはいったいなんだと思いますか?この話はいったい社会にどのような
影響を与えると思いますか?もっと言えば、個人に対する影響はどのような
ものだと思いますか?
実は、何気ない会話から生まれる力とはとても大きなものなのです。人が動くのに
必要なのが言葉のエネルギーなのです。
人は、言葉を話す生き物です。言葉を理解することで、心が変動していく
生き物です。
言葉だけに焦点を絞って話をしてみましょうか。言葉がなぜあるか分かりますか?
あると便利だからあると思いますか?
では、なぜ人間だけ、言葉というものをもっているのですか?他の動物もあれば
便利ではないのですか?
話は簡単です。人間は言葉を話すことが出来るように出来ていて、その言葉を
学習し、理解する能力をもっているのです。他の動物が、人間のように言葉を
話さないのは、そのように出来ているからです。創造する段階で明確な区別が
人間と他の動物にはあるのです。たとえ、人間と同じくらいの知能があったと
しても、言葉を持つことは他の動物には許されていないのです。なぜだと思い
ますか?それは、人間がこの世界を動かすためです。
もしも、他の動物が人間と同じように言葉を持っていて、話しかけてきたら
どうしますか?人間の世界にも人種差別というものがありましたね。それが、
多種多様に渡ることになります。そのような世界は成り立たないのです。
しかし、動物も人間の言っていることを理解し、真似ることは出来ます。
ただ同じ言葉を持つことが出来ないのです。この世界を人間主動で動かすため
なのです。なぜ人間主動でなければならないのかは、人一人にある宇宙という
ものが、他の動物一体にある宇宙と異なるからなのです。
人間の宇宙とは、この世界を創った創造主の宇宙と一緒なのです。言いかえ
れば、人間は、創造主自身が創った存在であり、分身にもなりえるのです。
ですから、人間は色々なものを産み出すことが出来ますね。
その知恵は言葉というものを通じて伝え、広め、より進化させることが
出来ます。人間には、もともと他の動物とは違った可能性が与えられて
いるのです。
その力を神の力といいます。人間はひとりひとりが神であり、この世界に
新たなものを産み出す力を持っています。
しかし、実は神とは、一人だけでは何も出来ない存在なのです。人間は
生まれるときに、必ず親がいますね。生まれた時点で何も手を差し伸べられ
なければ生きることもできないのです。
人間の可能性とは、創造主の可能性に近いものがあるのですが、創造主と
人間の違いは、誕生したときから己の意識ひとつで、新たなものを派生させ
世界を創り上げたものと、その原型だった世界の中で生きるものとの違いです。
人がなぜ言葉を話すのかは、創造主の持つ可能性を多くの人間に分け
与えるためなのです。
誰かが言ったことの影響とは、人間個人個人が発する言葉が産み出す可能性の
ことを言っているのです。
あなたの言葉が、もしかしたら世界を変えていくのかもしれないですね。

九「夢から覚めたあと」

私の考えです。
今日は、六十項目の
九「夢から覚めたあと」です。
今日は良い天気。今日は悪い天気。今日は変な天気。天気にも色々ありますね。
天気は、まるで自分の心を現わしているようにも思えます。そうなのです。
実は、天気って、心の状態と同じようなものなのです。
科学的にいえば、大気の状態、その中の気圧の状態、前線の状態など色々
あるのですが、それも心の状態と同じなのです。
では、誰の心だと思いますか?それは、たくさんの心の集まりが産み出して
いる現象なのです。この世界に生きるすべての生き物の心の状態といっても
いいかもしれないです。
なぜ、生き物の心の状態が天気を現わすのか。それは、この世界が気の
かたまりで出来ているからなのです。
気のかたまりとは、生き物が発することの出来る気が集まって出来るかたまりと、
この世界に送られてきた気のかたまりとがあります。
天気の状態を左右するのは、生き物が発する気のかたまりのほうです。
自然災害と言われるものがありますね。それも、実は生き物が発する気から
生まれているものなのです。
台風、地震、山火事など自然に起きているように見えるものでも実は、
そこには生き物が関わっているのです。多くの気を発することが出来るのが人間です。
その人間が、自然災害を起こしているとしたらどう思いますか?
台風を起こしている原因、地震を起こしている原因、山火事を起こしている原因が、
もし人間にあるとしたらどう思いますか?すべてが人間だけの力でないにしても、
多くの気を放つことが出来るのが人間です。大気の状態に大きく関わっているのが
人間なのです。
人が、一斉にプラスの気を放てば、望んでいる天気が現れ、人が、一斉に
マイナスの気を放てば望まない天気になるというのが、この世界の仕組みだとしたら、
とても因果なことですね。
一つの例を考えて見ましょうか。国際的な競技が、ある国で開催されることが
決定しました。マラソンにしましょうか。その日に備えて選手は、日々鍛練し
備えます。そのために、みんなで協力して準備に当たります。多くの人がその日は
晴れてほしいと思ったとします。心は、プラスの気を放っていたとしましょう。
するとどうでしょう。当日は晴れました。予定通り、選手は天気の中、快調に走る
ことが出来ました。では、この日に向けてマイナスの気を放っていたとしたら
どうだと思いますか?ある選手が怪我に悩まされ、そのことで、周りの人たちが
心配し、皆の心が乱れていて、マイナスの気を放つことになったとしましょう。
おそらく当日の天気は、あまり良くないものになるでしょう。
もしも、天気の状態が人の心にあることを知っている人がいるとしたらどう
思いますか?故意に人の心を乱したり、誘導したりする人がいるとしたらどう
思いますか?
天気予報って知っていますね。今大気の状態がこのようだから、明日は晴れるで
しょう。または、雨が降るでしょう。明日、明後日くらいなら、大気の状態を
自然なように見せることは出来きますが、来週の天気というものまで当てることは、
不自然なことなのです。もし当てることが出来るのであれば、よほど巧みに人の
心を誘導していると言えるでしょう。多くの人が天気予報に関心を寄せるように
集中させ、操ることが必要となるでしょう。
今、もし人が天気予報を全く見なくなったら、どうなると思いますか?おそらく、
気を操ることが難しくなり、予報は外れて行くでしょう。明後日の天気も
ほとんどが当たらないものとなるでしょう。
では、ここで、本題の夢から覚めたあとですが、夢から覚めたあととは、自分が
関わった大気の状態に気付いた人々がその後どのようにこの世界に関わっていく
ことをするべきかということです。夢とは、有耶無耶なものです。その夢を現実の
ものに出来ることを知った人たちのことです。おそらくその人間は、他の人々を
誘導し、巧みに操ることで天候を左右することをしようとするでしょう。
その力があるのが、今、多くの人が見ているもの。マスコミであることは
分かりますね。
天気の状態だけでなく、人の心が、台風を起こす要因、地震を起こす要因、
火災を起こす要因になっているのだと知っているものがとる行動というのがあると
したら、そこには、この世界を動かしているという考えが芽生えているのかも
しれないですね。
もしかしたら、あなたの心がこの世界の今の状態を作っている要因の一つなのかも
しれないですね。