七「ところ構わず吐き捨てる」

私の考えです。
今日は、六十項目の
七「ところ構わず吐き捨てる」です。
あるとき、いきなり込み上げてくる想いってありますか?このままでいいの
だろうか。何かしなければいけないのではないか。どうしたらいいのだろう。
そんなことを思う時はありませんか。
なぜそんなことを思うのだと思いますか。答えは簡単です。周りがそのような
状況を作るからです。
その作られる状況って、自然だと思いますか?不自然だと思いますか?
例を上げてみましょうか。これからは、国際社会になるから、国際的なリーダーが
使っている国の言葉、英語を覚えましょう。と周りの人々が言い始めたとします。
そこで自分はどうしますか?周りの人が英語、英語って言っている。自分は
日本語はしゃべることが出来るけど、外国人が英語で話しかけてきたら話せないと
いけないかな、どうしよう。そこで、英会話教室に通うことを決める。
三ヶ月が経ち、英語も少しは出来るかなと思い始めたとき、ある人がこう言った。
日本に外国の人が来るなら、外国人が日本語を話すべきだ。日本から外にでない
から、英語を覚える必要はない。日本語は日本の文化の象徴である。
その言葉に同調した人たちがいたとしましょう。
英会話教室からも何人かがやめていき、そのとき自分はどう思うか。周りの人が
英語を覚えましょうと言っていたから、自分は英会話教室に通い始めた。でも、
外国の人たちが日本語で話して来たら英語を使う必要ってあるのかな。英語を
話すより、日本語は日本の文化の象徴だから、もっと日本語を大切にしなければ
いけないのではないか。どうしよう。と、想いが連鎖していく。
この流れは、自然だと思いますか?不自然だと思いますか?
答えは二通り、周りに合わせることを主に置く人には自然であり、周りに合わせる
ことを主に置かない人には不自然なのです。見方の違いです。
なぜあの人は、あそこまで周りに合わせようとするのか。わからない。もう一方の
見方だと、なぜあの人は、周りに合わせようとしないのか。わからない。
この一見矛盾した人の考えは、その人の生き方の違いが生むものです。世の中に
いる人は全てが同じ考えを持ち、全てが同じように動いているわけでないです。
たとえ、同じ種類の魂を与えられても、遺伝子の違い、性格の違い、血液型の違い、
生まれてから育っていく環境、形成されていく人格の違い、様々な違いが生まれて
行くのが自然の流れです。そこから生まれる相反する想いというのも、実は自然に
作られる想いなのです。
ある人は、ああするべきだと言っているが、自分は、こうするべきだと思う。
その考えこそが、この世界に変化を与え、進化させる可能性を生む力を与えて
行くのです。それは、自分一人だけの考えで動くのではなく、周りの考えに
合わせた動きになるからです。
ある問題提起を誰かがすると、そのことに関して、人々は考え、どうしようかと思う。
問題にする必要がないと思われれば、そのことは、すぐに消えていくでしょう。
しかし、多くの人が関心を持つことであれば、もしくは、そのように、誘導して
いけば、その問題に多くの人々が関わり、何かの答えを導いていきます。それが、
今ある社会の姿であり、形なのです。新聞、雑誌、ラジオ、テレビから、パソコン、
携帯電話、インターネットと形を、より広く人の考えを聞ける形へと進化させていき、
人が考えていることを集計して、統計立てて、社会の仕組みに役立てる。
そして色々な問題提起を発信し、人々の考えを見る。
もしも、人一人で、または少数で問題を全て完全に解決できるなら、この方法を
取る必要はないです。様々な人が様々な形でこの世界には存在し、その人々の
考えを見て考えたいから、この方法を取るのです。言いかえれば、どんな考えでも
いいのです。身につけてきたあなたの考えはどうなのですか?と聞いているのです。
ところ構わず吐き捨てるように見えるものも、もしかしたら、誰かの考えのヒントに
なっているのかもしれませんね。

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