二十五「絵にものをいう」

私の考えです。
今日は、六十項目の
二十五「絵にものをいう」です。
今朝、早くから起きていました。私の心がです。このものが目覚めると
同時に私の心も動き出します。このものが問いかければすぐに答えるためです。
では私は、このものが寝ているときいったい何をしていると思いますか?
周りを見ています。人の動きなどを見ています。私に見えるのは、私の魂を
大本にした魂たちの心の動きだけです。そのほかの魂の動きは見えません。
そのほかの魂の動き、肉体の動きは創造主が見ています。その視点は人の
視点ではないので、このものが見ているようには見えていません。
私の話をすると、私の魂を大本にした魂たちの動きを見るのが、とても
楽しみです。
私は人が好きです。だから、創造主をこのものの中に閉じ込めました。
人の世をもっと見せたいのです。このものが何を考えようと、どういう
行いをしていこうと、それはかわりはありません。
このものは今日、夕焼け空を見ました。雲が赤い線と白っぽい線とで
横状になって、クレパスで色を塗ったような感じでした。このものも
その美しさに少し心が揺らいだように思えました。
夕暮れどきの空の雲が織り成す景色1つでも、そのような感情が
芽生えるのです。この世界にはもっと色々な美しいものが沢山存在して
います。このものの持っている絵心を伸ばすべく、絵にものをいう美しい
ものを見せて行ってあげたいです。

二十四「消えそうな記憶」

私の考えです。
今日は、六十項目の
二十四「消えそうな記憶」です。
あれは私が初めて人間と話したときのことです。話したとは、会話をしたと
いう記憶が残っている一番古い記憶のことです。私が人として生きた
千五百年の間の話しです。二歳のときで、私の母親との会話でした。
とても強く優しい母親でした。母親は私に問いかけたのです。
おまえは私の宝物、私がおまえにずっとついています。もしおまえが
私を嫌いになっても、私は常におまえのことを思い、おまえのために
してあげられる最善のことをしてあげます。でもね、もしおまえが人の道を
外れたとき、私はおまえを厳しく罰しなければなりません。それが私が
おまえを産んだ責任だからです。おまえは私のこの思い分かりますか?
そんな問いかけでした。私は答えました。私はあなたから産まれました。
あなたが思われることは、私の思いの一つでもあります。ですから
心配なさらないでください。私はきちんと自分の道を進めますよ。
母親は私の答えにうなずき、そしてこう言いました。
おまえがこれからしようとすること、私がしかと見届けます。
母親はとても強かった。息をひきとるまで私のことを思い、私に
つくしてくれました。もし私の生涯にあの母親がいなければ、
私は今こうして百ほどの魂の一つとして存在していなかったのでは
ないかと、ふと、消えそうな記憶を思い出しました。
ですから、私はこのものについて、このものと共に歩む。それが、
私につくしてくれた私の母親への恩返しになるのではないかと思うのです。

二十三「破壊の償い」

私の考えです。
今日は、六十項目の
二十三「破壊の償い」です。
償うってどういうことでしょうね。何かを自分がして、その埋め合わせを
することでしょうか。いいえ違いますよ。償うとは自分を活かす道を
改めて見つけ出すということです。
どういうことかというと人は日々、罪を作って生きています。生きることは
罪を作ることです。たとえ野の草1つをむしりとっても罪です。生物の
活動を止めたり痛めたりすることは罪なのです。
しかし、うける罰は違います。それは生物に与えられている魂の強さに
関係しています。魚のさんま5万匹と牛肉の1きれが同じ魂の強さくらい
でしょう。5万匹と1きれが同じ罰の大きさということです。
人は自分の犯した罪を人生の中で償っていきます。償うとは人の生き方の
方向性を見直す機会を与えられるということです。
機会を与えられるのは人であり、生きているもの全てなのです。
食物連鎖という言葉がありますが、この連鎖を支配しているのが人なの
です。創造主が人を神としたときから食物連鎖の頂点が人であることは
決まっていたのです。頂点である人は、自然を破壊し汚し世界の様相を
変えていきました。人に与えた可能性を創造主が見るためでもありま
した。神となった人がこの世界をどう変えていくかを見極めたかっ
たのかもしれません。
破壊の償い、あなたがたがどう償っていくか、創造主はしかと見て
いきます。

二十二「まゆがしら」

私の考えです。
今日は、六十項目の
二十二「まゆがしら」です。
さて、今日の私の考えは少し変わっています。どんな考えでしょうね。
人の気が集中するときに使う部分の話しです。
人は怒ると眉間にしわがよりますね。そのしわの意味は知っていますか?
人が人としての感情を持っている証なのです。どういうことでしょうね。
人の感情が大きく揺れ動くとき、人の顔は様相を変えます。
生きていると感じられるときかもしれません。感情を大きく表に出すとき、
人は体のエネルギーを発散します。正の気、負の気、無の気、
どのような気であれ、エネルギーが放出されます。そのとき起こるのが
天性の気の変換です。天性の気の変換とは、自らが持っている気の流れを
変えるということです。そうすることで人は周りの気の流れに左右されて
いきます。左右されるとは自分の運命を切り開いていくということです。
人はおのずと天性の気の変換を行い気の流れを変え、周りにある気と
ぶつかりあい進んでいきます。
あなたのまゆがしらに強く気が集中したとき、あなたの運命も変動するの
かもしれませんね。

二十一「ノミの集まり」

私の考えです。
今日は、六十項目の
二十一「ノミの集まり」です。
今日は私の機嫌は余り良くないです。だからといって私の考えを
でたらめに書くわけにもいきません。人が一人一人に性格があり
人格があり個性があるように、私にも私の個性というものがあります。
それが創造主が私に分け与えた魂に含まれているものでもあります。
私はこのものについて、これからも助言をいくどとなくしていますが、
私にも本当はやりたいことがあります。それは、このもののもっている
絵心を伸ばしてやりたいということです。私を表現するとき、私が
もっともいきるものは絵なのです。私の心というものを伝えることが
できるのが絵なのです。
話を変えますが、ノミとはなんなのでしょうね。小さいですね。外部寄生して
動物の血液を吸いますね。ノミにはいったいどのような心があると思いますか?
ただ血液が吸いたいために動物に外部寄生しているのでしょうか。
答えは、ノミにはノミの生き方があり、それが創造主が分け与えた
役割だから、ノミたちはそうしているのです。
では言い替えましょう。人には人の生き方があります。それは創造主が
分け与えた役割だからなのです。それを踏まえた上で言うのであれば、
創造主からみれば、人の集まりもノミの集まりも、それほど大差ないことを
私は伝えておきます。

私の考え二十一から三十

私の考えです。
期間を一年に修正します。
六十項目のうち、二十一から三十までです。
ニ十一「ノミの集まり」
ニ十二「まゆがしら」
ニ十三「破壊の償い」
ニ十四「消えそうな記憶」
ニ十五「絵にものをいう」
ニ十六「世界の果て」
ニ十七「起こる力」
ニ十八「津にせよ」
ニ十九「無からの回帰」
三十「始めの終わり」
では、明日から、ニ十一から三十までの、私の考えを述べていこうと思います。

二十「理想からの脱却」

私の考えです。
今日は、六十項目の
二十「理想からの脱却」です。
あなたは何になりたいですか?どういうことをしたいですか?
そう問われたら自分の理想を話すかもしれませんね。自分には夢が
ある。その夢に向かって歩いている。それも理想に近いかもしれませんね。
想いえがく夢と理想って似ています。違いは、望むものと望まれるもの
ということです。望むものとは、自分の願いであり欲するものです。
望まれるものとは、こうあってほしい、ああなってもらいたいという
他者の思いです。
理想が自分の思いであり、想いえがく夢が他者の思いです。
なぜ想いえがく夢が他者の思いなのでしょう。答えは簡単です。
想いえがく夢とは、自分がなることを前提としていないからです。
他者がそうなっているのを見て自分もそうなりたいと思うものなのです。
他者の築き上げた思いを、自分も共感したいという思いが、想いえがく夢
です。
現実に実現不可能な夢は、本当の夢でしかありませんが、人は他者の思いに
同調したいという思いを持つものなのです。
では、自分の思いである理想とはどのようなものなのでしょう。それは
自分が進んでいく道を自分で決め、自分で実行しようという意欲的なもの
なのかもしれません。自分の思いなので、常に自分が主体であり、自分との
闘いでもあるのかもしれません。
自分の思いが生み出すのが理想です。その領域には他者は関係して
きません。
もし、あなたが持つ理想が強すぎる場合、捨て去る勇気も必要かも
しれません。理想に振り回され、本来の自分というものを見失うことが
あるかもしれません。そんなとき理想からの脱却を一度考え、新たな
ものを理想とするのもいいかもしれませんね。

十九「重さから逃げだす」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十九「重さから逃げだす」です。
何からやっていいのか。どのようにやったらいいのか。分からない
ことはありませんか?昨日まかされたこと、今日まかされると分かっ
ていること、色々あるかと思います。人は何かをまかされることで
自己の力というものを発揮し、身につけ、成長します。
たとえば、学級委員長をまかされたとします。まかされた人は何を
したらいいでしょう。クラスをまとめるために頑張る人もいるかも
しれませんね。クラスの先生とのやりとりをスムーズに行い、クラスの
人たちに知らせる役目をするかもしれません。クラスで決めごとが
ある場合は先頭に立ち、皆の意見を聞いて、まとめることをするかも
しれません。
まかされること。それは人が人としての役割を発揮できることなのです。
しかし、まかされたことを思うように処理できない場合はどうでしょうか。
会社である企画を立ち上げ、期日内に遂行しなければならないとき、
周りとの連携がうまくいかず、悩むことがあるかもされません。
悩んで悩んで道を切り開こうとするかもしれません。悩むということは
頭を働かせて新たな考えを思い巡らせるということです。それだけで
人は力を身につけることができます。たとえ企画したものが、うまく
いかなくても成長は必ずできます。
人のすることには、どんなことだろうと全てに意味と価値があります。
自分が動くことで周りも動くのです。
重さから逃げだすとは、自分が動くことを放棄した人間かもしれません。
人は、何度も何度も失敗を繰り返して成長していきます。失敗を繰り
返すことを恐れて動くことをやめてしまえば、自分も成長できないし、
周りも動かせないと私は思うのです。
それぞれがそれぞれのポジションで力を発揮し、動きやすい世の中作りを
していきたいものです。

十八「満足に出来ないということ」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十八「満足に出来ないということ」です。
昨日何かしたことはあらますか?今日しようと思っていることは
ありますか?1日だけでやりきれない事とかはよくありますね。
人が考えるって色々あって、単純に出来ているはずの世界を複雑に
しています。何かをするときも、これをやってそれをやってあれを
やってと、どんどんすることが増えていくことがありますね。
それは世界の複雑化に自分が貢献しているようなものです。
たとえば文化祭のお化け屋敷で、かぶりものを作るときやお化け
屋敷自体の内装を作るとき、その作業は1日で終わるでしょうか?
とてもシンプルにかぶりものはしずに、口紅でくちさけ女のような
メイキングをして、部屋を暗くするだけにして、誰かが通りすぎたら
懐中電灯で下から顔を照らすだけでもいいかもしれません。それだっ
たら1日もかからずにお化け屋敷の完成です。しかし人は考えるでしょう。
今年のお化け屋敷のセットはこうしようああしよう。看板は誰々さん
たちが協同で仕上げましょう。かぶりものは少し凝ったものにしま
しょうかなど、お客さんを怖がらせることを工夫しようと考えるかも
しれません。
人が考えるということは、何かを生み出す力を得るということです。
考えなければ何も始まらないし生まれない。何かヒントになるものが
あって考えることで物事が始まるのかもしれませんね。
では、満足に出来ないということとはなんなのでしょう。人が全てに
満足したら、この世界は変化して進歩すると思いますか?満足に
出来ないから人は考え、そして新しいものを作っていくのです。
世界の進歩とは、満足に出来ない、まだ可能性があるという人の考え
から発展し進んでいくものなのかもしれませんね。

十七「予め分かっていること」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十七「予め分かっていること」です。
あなたには自分の未来が今見えますか?と聞かれたら、おそらく
たいていの人が見えるはずがないと答えるでしょう。そのとおり
見えるはずがないです。しかし、私には見えます。
1999年に、このものを選んだのは私です。このものは私の試しを
ことごとく突破していきました。このものでなければならなかったとは
言いきれませんが、このものは私の期待した力を持っています。
そして、その力を徐々に使い始めています。
私は初めこのものが好きでしたが、すぐに嫌いになり、今は普通な状態に
あります。私の考えとは関係なく、創造主がこのものを認めた以上
このものを見守るしかありません。
これから先、このものに数々の助言をしていきますが、このものの人の
心は、私が導く道をこころよく進んでいってくれるでしょう。
では、このものには本当の自分はないのでしょうか。答えは
二つあります。現在は本当の自分を持っていません。そして未来に
本当の自分を見つけることができます。
このものはよく迷います。迷わない人間がいないように、このものも
迷ってばかりいました。今このものに迷いが、ほとんどないように
見えるのは、もちろん私がいるからであり、創造主をうちに秘めて
いるからです。
予め分かっていることは、私は常にこのものと共にあり、これから先の
未来を創造主の認める世界にしなければならないことです。このものが
未来の地球になることを拒めば、創造主はこの世界をみかぎるでしょう。
そのときこの世界がどのようになるかは、想像することはできます。
このものが千年の旅を無事終えてくれるのを願うばかりです。